平成21年6月13日の日記、またまたJRのマルス発券社線連絡切符を買いに行った

平成21年6月13日の日記 加筆修正:平成28年6月25日 先週に引き続き、JRのマルス発行社線連絡乗車券を購入すべく、立川から、3キロほど歩きまして、青梅線東中神駅へ向かった。 なにも輪駅の西立川駅に行けば良いにもかかわらず、更に先の東中神駅に行ってしまった。 暑い梅雨の時季の夕方、じっとり不快な中、汗だらだらで歩いた記憶がある。 なお、東中神駅にも〔もしもし券売機Keruくん〕が設置されているので、これを使う。 前回同様、一回しかタッチしないタッチパネルをタッチし、オペレーターに注文する。 今回のオペレーターは、前回と異なり、相当嫌がる。 『乗車券:東中神駅→聖蹟桜ヶ丘(青梅線・南部線・分倍河原・京王電鉄線)』 これを要求したら、 「券売機で買えませんか。」 「券売機で買えますよ。」 「券売機でも変えますよ、時間かかりますよ、券売機の方が早いですよ。」 その度に、 「料金表見てないから分かんない。」 「面倒くさいからこのままお願い。」 「時間かかったっていい。」 っていったら、しぶしぶ発券に取り掛かりやがった。 で、最後に、現金投入して、切符の印刷が終わって出てくる段階になるまで、いっさい話しない。 前回は、1枚ごとに、切符の経路を画面で確認することよう案内され、精算画面になり、「それではカードを入れて暗証番号をお願いします。」って丁寧な案内を受けたのに、今回は黙って、確認画面もスルー、精算画面を音沙汰なし。 最後に、ボソッと「ありがとうございま…

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平成21年6月12日の日記、深夜アニメにのめり込んでいた当時の生活

平成21年6月12日の日記 加筆修正:平成28年6月25日 BS11でやってた、2006年製作の『奏光のストレイン』を視聴した。 もともとSF系は好きだったので、まじめに全部視聴した。 (キャッチコピーがSF美少女メカアクション、恥ずかしい宣伝文句を考えるもものだと感心する。) なんでも、亜光速で飛んでると、主観時間の数時間が数百年になるとかで、そういうものが設定に入ってくるSFアニメ。 亜光速飛行なんかができる世界観においての戦争で、軍事作戦で、亜光速飛行を繰り広げる。 いっぱつ飛んで任務果たして帰ってきたら、主観的には数日でも、客観時間としては数ヶ月たっている……てのもざらに発生しうる。 場合によっては、数ヶ月、数年、数十年、数百年…… 帰ってきたら、知り合いは誰もいなくて、完全に孤独な状況。 このあたり、トップを狙え、とかでも描かれているものだが、スター・ウォーズとかだときれいに忘れ去られてるよね。 もっとも、こんなところまでまじめに作ってたら、ストーリーが進まなくなっちゃうよね。 この、(業界用語で言うところの)ウラシマ効果ってものをまじめに突き詰めると、 若き小泉純一郎が、亜光速航行で遠くの星系に任務で赴き帰ってきたら、自分の息子の孝太郎が、自分より年上になって、しかも国防大臣になって、帰還した父親、しかも、実質的生物学的年齢は自分より年下の父親を、出迎える。 なんて状況も考えられるわけだ。 ところで、軍隊が亜光速で宇宙をまたにかけて戦争…

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平成21年6月5日の日記、JRのマルスの私鉄連絡乗車券がほしくて、立川から拝島経由で新宿まで行った。

平成21年6月11日-6月12日の日記加筆修正:平成28年6月25日 立川の試験予備学校に行ったついでに、翌日土曜日に使う予定の切符を購入しておこうと、一路、西立川駅へと向かった。 立川駅を出発し青梅線西立川駅へと、一駅だから楽だろうと歩いてみたがとにかく長い。青梅線は、もはや都会の「隣が見えるくらい近い駅」ではなく、「隣の駅までキロ単位の距離がある田舎の駅」に近い存在なのかもしれない。 雨のなか、延々歩いてようやく到着する。購入予定のきっぷが、少々ややこしくて、 乗車券:立川→西武新宿(経由:青梅線・拝島乗換・西武鉄道線)乗車券:新宿→市ケ谷乗車券:市ケ谷→京王高尾線めじろ台駅(経由:総武線・新宿乗換・京王電鉄線)の3枚。このうち、私鉄線への連絡乗車券は、制度的には発券が可能であっても、駅員が嫌がって発券してくれない種類の切符である。現に3枚目は、東京駅で断わられた"実績"がある。大抵は、「券売機で買ってください。」で終了となる。しかしながら、(平成21年6月5日時点で)一部の駅に設置されている、「もしもし券売機kaeruくん」を使うと、そんな駅員が嫌がる切符も作ってくれるという情報を入手した。(なお、この券売機は、平成28年6月25日時点では完全撤去となっている模様。) 「もしもし券売機kaeruくん」は、利用客の少ない駅のみどりの窓口を閉じて、この券売機によって、みどりの窓口の代用をしようと試みたものである。が、不評だったのか、ある時期を境に、新規配備は途絶えている。 券売機の仕組みとして…

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平成21年6月2日の日記。裁判員制度が始まった。

平成21年6月2日の日記加筆修正:平成28年6月25日 早速始まった、裁判員制度。友人の友人は、アルカイダ……じゃなくて裁判員。 「裁判員にはなりたくない」という意見が噴出しているが、ちょっと待ってほしい。 昨今、世論の全体的な動きとしては、刑の厳罰適用を求めるのが主流になっている。 死刑適用要求も高まっている。殺人人数による制限などナンセンス、一人でも殺せば死刑だ、と。 (もっとも、現状の刑法規定でも、1人の殺人で死刑適応は可能です。)しかし一方で、「裁判員になったら、自分では死刑を下したくない、下せない。」そういう意見が出てくる。 「自分は死刑判断をしたくない」だけど「厳罰化の上極刑を望む」と言う世論が形成されていると言えましょうか。これを解釈すると、厳罰化を求める割には、自分では、極刑を下せない。 人を殺す判断は他人任せ? この場合は、裁判官任せ。 自分は、当事者になりたくない? 第三者でいたい? 傍観してたい? 死刑を下すのは裁判官だけでいい、しかし文句は言わせろ……情けない。 厳罰化を求めるのならば、自分が裁判員になったときに、一発目から死刑を主張すればいいではないか。それが出来ない。この、激しい、当事者意識の欠如。 自分は当事者になりたくない、傍観者でいたい……そういう気持ちが、日本の政治や行政をここまで落としたのに、今度は司法の領域をも、無関心・傍観願望で落とし入れるのか、と問いたい。この傍観者願望、第三者願望。 私はあまり好きではない。 当事者であるにもかかわらず、傍観したい………

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